モデルコース(緒川北地区)
★ 緒川藩城下町コース
①塚本源左衛門の屋敷跡
今は公民館が建つ場所は国道より1mほど高くなっ
ていますが、江戸時代の始めころはここまで海でした。
ここは豪商塚本源左衛門家の屋敷跡で、すぐ東には
自家用の港(入江)までありました。
跡地は郷蔵、村役場、小学校が明治12年から昭和
17年までの64年間、その後は駐在所、農協などが
置かれ、町の中心でした。
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②善導寺
於大と家康の位牌が並び安置される善導寺、慶長
10年(1605)水野分長により海辺から現在地に移転さ
れたという。浄土宗知恩院の末寺。
家康の母である於大は、嫁ぎ先の松平が浄土宗であ
ったので、ここ善導寺を自らの菩提寺と決めた。寺に
は於大が寄進した三尊阿弥陀如来像、柄香炉、於大
使用の夜着などがある。夜着は於大のみちに設置さ
れているモニュメントがそれで、今でも鮮やかな色合
いを失うことなく、大切に保管されている。
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③越境寺(おきょうじ)
1575年水野信元の死後、佐久間信盛により寺を
破壊されるが、佐久間信盛追放後に水野忠重の
家臣により再建される。東浦ではただ一つの顕本
法華宗の寺、本山は久遠寺と京都の妙満寺。
元家老の竹内文左衛門家の菩提寺であり、竹内
家の墓の数は緒川で最も多くその数は39+1基
とい う。
寺には東浦町指定文化財の「キリシタン灯篭」
がある、尾張藩では寛永年間(1660年代)にキリシ
タン弾圧があり、その頃安置されたのではという。
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④入海神社( いりみじんじゃ)
祭神は日本武尊の妃「弟橘媛命(おとたちばなひめ
のみこと)」で、神社の説明板には日本武尊が東征の
おり、相模の海で嵐に会い姫が海に身を投げ海の神
の怒りを鎮めたことが記されている。
東浦町に一つだけ国指定文化財の「入海貝塚」 があ
る。昭和28年に指定を受けたもので、ハイガイ、
カキなどの7.000年前の貝塚。貝塚からは縄文
土器を中心に、石器、骨角器が出土した。この土器
は「入海式土器」と呼ばれ、東海地方の縄文時代早期
末の基準土器となっている。
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⑤了願寺( りょうがんじ)
真宗大谷派、創建は明らかでない。1494年までは天台宗で帰命寺と呼ばれていて、1522年に真宗に宗派替えした。1588年水野家家老竹内茂右衛門により今の場所に移転した。他にも移転した寺があることから、水野氏の寺院再配置による城下町建設の一環であったと推測される。
ここには永井家(直勝の長子、正直を始祖とする)一統の墓30余基がある。中でも尾張藩の漢学者星渚は有名。この永井家の しきたりは、男子は了願寺に、夫に先立った妻は不 忠者として名古屋市南区の西来寺に葬ったという。